「学べば学ぶほど、自分が何も知らなかった事に気づく、気づけば気づくほどまた学びたくなる。」
〜アルベルト・アインシュタイン〜

人の価値は人生でどれだけ多くのことに気づけるかによって決まる。自分はそう思っています。
なにが出来るかではなく、なにが出来ないのか、というのもそのうち。いつもの日常の中で、当たり前のことが、何かのきっかけで全く違うものに見えたりする。それも何かに「気づいた」ということで始まる、いつもと変わらない新しい日常だったりします。人は、学べば学ぶほど、色々な知識を得ることができて、色々なことに気づけます。それは事実なのですが、でも、この学ぶという行為が経験と誤解されやすい。学ぶことと経験したこと、この二つが大きく違うこと。常に意識に持っていたい。そう思います。

経験は、人に力を与えます。でも、気づくということの価値を曇らせるきっかけにもなります。
人は経験を積み、出来ることが増えるにつれ当たり前が増えていきます。だから、当たり前に思っていることから、気づけることが無いと勘違いしてしまう生き物です。気づけることの総数は、おそらく一人の人間が生まれて死ぬまでの間に無くなることは無くて。日々の日常からでも、人は死ぬまで新しいことに気づき続けることが出来るはずだと思っています。

だけど、人は、経験したことは、気づいたこと学んだことと同じだと勘違いしてしまうことが多いです。そして、ひとつのことを経験した自分は、同じ経験から新しいものを学ぶことが出来ないと勘違いしてしまうことも多いです。
それは、非常に危険なことだと思っています。日常から学ばなくては、何から学べば良いのか。学ぶというのは、特別な行為であってはならない。自分の経験から自分が学べるということに気づくこと。そのことに気づいたとき、人は気づくことと学ぶことの大事さを忘れずにいることができ、一生、気づきと学びの輪廻のなかで遊べると思います。
どんなに過去に凄い経験や実績のある人でも、この輪廻の中に自分を置いていない人は、いずれ経験という椅子にあぐらをかき、気づけば裸の王様になってしまうでしょう。
自戒の意味を込めて、一度まとめてみました。


「最大の過ちは、どんな過ちを見ても少しも気づかぬことである」
〜トーマス・カーライル〜


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